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【社会】宮崎勤事件には「5人目の犠牲者がいた」? 『未解決』説を追う[05/02]

1 :
逢いみての… ★
2018/05/02(水) 01:41:26
連続幼女誘拐殺人事件の犯人、宮崎勤が犠牲者は4人である。......少なくとも、裁判ではそういう事になっている。宮崎勤の弁護方法が、日本の裁判史上においてきわめて特異だと言われたのは、最初に被害者である四人の女児を殺害したことを認め、それから宮崎の精神世界に踏み込んで、その異常性とそこに到るまでの過程を説明し、責任能力への疑問と情状酌量によって無罪もしくは減刑を獲得しようとしたことによる。

つまり四人の女児を誘拐し、連続殺害したという事実関係については争わず、最初から被告の側で認めるという前提をもとに、裁判は進められていくのだ。

ところで、この報道に触れたときにはひとつの疑問があった。

「それでは、五人目の犠牲者は消えてしまったのか」

ということである。私は宮崎勤の逮捕後、報道記事や論説をモンタージュ、コラージュして事件の総体を浮かびあがらせる目的で「贖罪のアナグラム――宮崎勤の世界」という本を編集しており、事件関連の記事の多くに目を通していた。だから、その「五人目の少女」の存在を覚えていたのだ。

しかし、「五人目の少女」の記憶は年月とともに薄れていき、編集者の久田氏と打ち合わせをしてこの記事を書く事になったのだが、もう少女の正確な名前も年齢も、事件の概要も分からなくなっていた。

それで調べ直してみると、たしかに時期的にも遺体のあり方からしても、宮崎の犯行と疑われても仕方ないような事件だったと再確認する。痛ましい。

まず、幼女連続誘拐殺人事件がどのような事件であったかを簡単に振り返ってみよう。事件は全て1988年、1989年、埼玉県と都内で起こっている。

1988年
・8月22日
埼玉県入間市。午後三時頃、今野真理ちゃん(当時4歳)がプールから自宅マンションに帰り、そのあと外出して行方不明に。
・10月3日
埼玉県飯能市、午後三時頃。吉沢正美ちゃん(当時7歳)が自宅を出たのち行方不明に。
・12月9日
埼玉県川越市、午後五時頃。難波絵梨香ちゃん(当時4歳)が帰宅する途中、自宅のある団地内で行方不明に。6日後の15日、自宅から約35キロ離れた埼玉県入間郡名栗村の山村で裸の遺体が発見される。
・12月20日
絵梨香ちゃん宅に、当日消印の「絵梨香 のど かぜ せき 楽 死」という内容のハガキが届く。また同じ頃、真理ちゃん宅に「魔がいるわ」というハガキが届られている。逮捕後の宮崎の供述によれば、これは「入間川」のアナグラムであり、真理ちゃんの亡くなった場所を遺族に教えようとしたらしい。

1989年
・2月6日
 真理ちゃん宅の玄関に、骨片、写真(真理ちゃんが失踪当時、身につけていいたピンクの半ズボン、パンツ、ピンクのサンダルが写っている)「真理 遺骨 焼 鑑定証明」という内容のメモが入れられた段ボール箱が置かれる。
・2月10日
「今田勇子」名の真理ちゃん事件に関する「犯行声明」が朝日新聞東京本社に届けられる。11日には真理ちゃん宅に同じ内容の「声明文」が届く。
・3月11日
「今田勇子」名の「告白文」が朝日新聞東京本社と真理ちゃん宅に届く。
・6月6日
 都内江東区東雲。午後6時頃、野本綾子ちゃん(当時5歳)が自宅付近で湯空不明に。5日後の11日、埼玉県飯能市にある宮沢湖霊園で遺体が発見される。
・7月23日
 都内八王子で宮崎が強制わいせつ現行犯で逮捕される。
・8月9日
 綾子ちゃんの誘拐殺人を自供。翌10日、都内西奥玉郡奥多摩町で綾子ちゃんの頭部が発見される。
・8月13日
 真理ちゃん、絵梨香ちゃんの誘拐殺人を自供。
・8月25日
 吉沢綾子ちゃんの誘拐殺人を自供。

続く

以下ソース
http://tablo.jp/case/society/news003219.html

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2 :
逢いみての… ★
2018/05/02(水) 01:41:44
1989年3月11日に朝日新聞と今野真理さん宅へ届けられた「今田勇子」名の「告白文」は宮崎の創作である。書き手である今田勇子という女性が、自分の不注意からなる不慮の事故で5歳になるなった一人の子供を亡くしてしまい。その子に遊び相手としを送る目的で真理ちゃんを殺害した......というのが主な内容だ。

これより先に送られた「犯行声明」は、今野さん宅に届た段ボールの中の骨片を、真理ちゃんの骨だと断定しない警察当局に対し、不平を述べ、それが間違いないことをなんとか証明しようとする内容であり、「あの骨は、本当は真理ちゃんなのですよ」という文で結ばれている。そして「告白文」には次のような記述がある。(※5人目の犠牲者について、である)

『やがて群馬の方で、不明だった子の家のそばで、子供の骨が発見されました。やはり、骨だけだったので、鑑定をしても、それが誰のものかはわからなかった。しかし、「県内で他に行方不明な子がいない」という理由で「その骨を明子ちゃんのものとしてよい。」という発表があった。

私のように、後になって骨を運んでいった人が居たのかもしれない。去年、捜索しても、何も無かった河川敷に明子ちゃんの骨があった。そして発表の後、明子ちゃんの両親は御葬式をだした。やはり明子ちゃんだと限らなくても、両親というものはそういうものなのです』

ここで宮崎が書いている「明子ちゃん」とは「朋子ちゃん」の間違いで群馬県尾島町亀岡の大沢朋子ちゃん(当時8歳)のことである。
朋子ちゃんは、1987年9月15日午前11時頃、子猫を抱いて自宅近くの尾島公園に出かけたまま行方不明になっていた。連続幼女誘拐殺人事件が起きる、1年前の出来事という事になる。 

尾島町前小屋の利根川河川敷の葦原で釣り人が散乱した子供の白骨を発見したのは1988年11月27日のことだ。骨は頭蓋骨を中心とした2~3メートルの範囲内に散乱しており、頭蓋骨の他に肩甲骨、大腿骨、鎖骨、両腕骨が見つかったが肘から先と膝から先の骨はなかったらしい。着衣はなく、死後1年以上が経過していた。

警察がこの白骨死体を、大沢朋子ちゃんである可能性が高いとしたのは、以下の3点の理由による。

・最後の目撃現場から人骨発見場所が1キロという近い距離
・朋子ちゃんの失踪した時期と、死亡推定時刻が一致する
・他に子供の行方不明者がいない

さらにその後、白骨死体の血液型がB型だと判明し、朋子ちゃんと同型であることから、白骨死体は朋子ちゃんだと断定される。

......大沢朋子ちゃんを殺害し、骨を遺棄したのは宮崎勤ではないのだろうか? 朋子ちゃんの白骨死体が、宮崎の犯行の猟奇性を連想させるのは、「肘から先と膝から先の骨がない」ということだ。

1989年6月に見つかった野本綾子ちゃんの遺体も、頭部と両手首。両足首が切断されていた。

さらに、群馬県は北関東で首都圏から外れるが、埼玉県とは隣接している。宮崎の活動範囲内ではないか。事実、この白骨死体が発見場所は群馬県と埼玉県にまたがって建設中であった新上武大橋から下流800メートルの地点であった。

宮崎は犯行に車を用いており、日帰りで往復するのが不可能な距離ではない。死体の発見場所が利根川岸であったことも、連続幼女誘拐殺人事件が入間川(上流は名栗川)沿いで行われている事を考えると、意識的か無意識的か「川」に対するこだわりのような共通性も感じられる。 今田勇子の「告白文」で、宮崎はわざわざ朋子ちゃんの名前を出し、他人の犯行のように書いているが、これは当てにならない。

終わり
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