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【社会】この国はまだまだ捨てたもんじゃない 「西日本豪雨と優しい日本人」 被災地で見つけた 市井の偉人たち[08/01]

1 :
逢いみての… ★
2018/08/01(水) 01:48:22
都市部から、わずかに車を走らせるだけで、土砂に埋まった街があった。未曾有の豪雨が残した爪痕はあまりに深い。だがその一方で、すでに被災地の人々は前を向いて動き始めていた。

「あの日、うちの隣の家では、おばあちゃんとその娘さんが、『足が届かなくなる』と助けを呼んでいました。
見ると、2階の天井近くまで浸水し、2人は窓枠にしがみつき、いまにも流されそうな状態でした。とはいえ、私も同じく自宅の窓枠にしがみついた状態で助けるどころじゃない。
そんななか、向かいの家の長男が水の中に飛び込み、2人を助けたんです。48歳の男性で、家族と自宅のベランダに避難していたが、2人の悲鳴を聞くや、彼は行動に移した。
水の勢いはすごくて、プロパンや灯油缶などあらゆるものが流れていたから、彼もどうなるかわからなかった。『よく泳げたもんだな』と感心しました」(70代女性)

岡山県倉敷市・真備町。約2万2000人が暮らすのどかな田園風景は、7月7日の未明、濁流に飲み込まれ、土煙と瓦礫の街と化した。
そのようななか、自衛隊員でも警察官でもない、勇気ある市井の人たちが、間一髪の状況から多くの人を救ったのだ。

真備町には身の危険を顧みず、たくさんの命を救った人物がいる。地域の障害者を支援するNPO法人の多田伸志さん(57歳)は、グループホーム利用者を助けるために、濁流の中に飛び込んだ。

「町内に点在するグループホームには、7人が取り残されていました。まず向かったのは利用者5人が暮らすアパート。ポリタンクを浮き輪がわりにして、500mくらい泳ぎました。
5人は2階のベランダで救助を待っていて、彼らを屋根伝いに、高台の民家まで避難させました。そこからほかの2人がいる場所まで泳ぎ、被害の及ばない家の屋根まで連れていき、救助を待ちました」

こうした街の「偉人」がいてもなお、多くの命が失われた。岡山県内で61人、14府県で計222人が犠牲になった(7月17日現在)。その悲しみに沈む間もなく、住民やボランティアは黙々と土砂を掘り起こし、身の回りの品を整頓しなければならない。

連日35℃を超える被災地には強い日差しが照りつけるが、日陰はない。家屋の軒も大きな木も、みな流されてしまったからだ。
広島・岡山両県の川沿いでは、土砂に住宅が半分以上埋まり、3m近くの深さがあったはずの川と道路の境目がなくなった地区もある。
行き場を失った川の水が、つい数日前まで道路だったアスファルトの上を流れ、住民や救助隊は逆に川だったはずの場所を歩く。

広島県呉市の天応地区は、もっとも被害が大きかった街のひとつだ。
7月13日、あふれる川の水も干上がりそうな日差しの中、予想だにしない警報音が住民のスマホから一斉に響き渡る。
避難指示――天応地区に土石流の恐れ。もう雨は降っていないのに、どういうことなのか。半信半疑のまま、住民は避難場所に指定されている天応小学校へと向かう。途中、自宅へ戻ろうとする夫を引き留める女性の姿があった。

「何しとる、はよ逃げんと」
「土石流なんて来ん、大丈夫じゃ」
「そう言って人が死んだんじゃろうが!」

極限の状態、一人取り乱せばたちまちパニックに陥りかねない。だが西日本豪雨の被災者は、目をそむけたくなる状況に粛々と向き合い、助け合うことを忘れていない様子がうかがえた。
天応西条3丁目に住む豊島啓伸さん(44歳)は、7月6日の夜、中学3年生の息子と自宅にいた。

「防災無線で避難指示が流れてたようだけど、ゴーッという雨の音がすごすぎてよく聞き取れなかったよね。逃げようと思ったころには、自宅前の道は激流になっていて、とても出れる状況じゃなかったんよ。
後輩の奥さんは避難しようと山を越えた地区まで下ったら、川の水がいっぱいになっていた。それで上に引き返したら、土砂崩れに飲み込まれて、そのまま亡くなってしまった。もっと早く逃げたら、逆にもっと遅かったら土砂崩れに遭わず、助かったかもしれない」

続く

以下ソース
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56753

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2 :
逢いみての… ★
2018/08/01(水) 01:48:46
豊島さんは9日から後片付けをはじめた。コンクリートの垣根は完全に崩れ落ち、断水状態が続くが、長らく使っていなかった井戸水は無事だった。

「うれしいことに、同じ地区の人たちが集まって、撤去作業を手伝いに来てくれとる。今日は近くの仲間とその子供たちも含めて、6人くらい。子供も別のところに預かってもらっているし、助け合いってやつですね」

地区は二次災害の危険が残り、元どおりの生活に戻れる見通しはまるで立たない状況が続く。そんな状況でも、豊島さん宅の一角には時折笑い声が響き渡っていた。これは力を合わせて前へ進もうとするたくましい姿そのものだった。

天応地区から車で5分ほど、呉市街へ向かう国道31号線沿いにあるコンビニ「ポプラ」呉梅木店は、一日も休まず営業を続けた。店の扉には「店炊きごはんあります」「トイレ使えます」と手書きの紙が貼られていた。
地域住民のために店を開け続ける。店員の服部亮祐さん(20歳)はその一心だったという。

「ほかの店は閉まっていたけど、うちは店長と相談して、開け続けようと決めました。店内用に水を備蓄していましたし、コンセントを無償で貸したり、トイレを開放したり、できることはなんでもしました。
うちは店舗で米を炊いて出しているんですが、7日の夜にはもう在庫が尽きてしまった。そのことを常連さんに話すと、『ウチのを分けてあげるよ』と4㎏ほど持ってきてくれたんです。
本来であればダメなのかもしれませんが、災害時にそんなこと言っている場合ではない。みなさんに炊きたてのご飯を食べてもらうことが大切だった」

幾度となく天災に見舞われてきた日本だが、万全の防災をしている人はそう多くない。だからこそ、最後に人命を救うのは、いざというときの他者への思いやりなのだ。
災害が発生したとき、もっとも重要なのは水をどう確保するか。入浴や洗濯、調理はもちろん、排泄物の処理にも水は不可欠だ。実際、避難所ではトイレの懸念から水や食事を摂らなくなり、連日の暑さで脱水症状を起こす高齢者も少なくない。
それは冒頭の倉敷市真備町も同様で、豪雨災害後1週間以上ほぼ全域にわたる断水が続いた。
そのようななか、町内を歩くと、「井戸水あります。仮設トイレあります」という大きな張り紙が目に入った。開放しているのは水川歯科医院院長の水川正弘さん(56歳)だ。

「正直、これほどの大事にならないだろうと油断して、逃げ遅れたうちの一人です。異変に気づいたのは夜中の3時ごろ、駐車場の照明が浸水して漏電しているのが見えました。
うちは1階部分が病院で、2階が自宅。カルテを少しでも2階に上げようと1階に降りたら、10分もしないうちに胸のあたりまで水が上がってきて……。このままでは出られなくなると思い、裏口のドアをこじ開け、2階に通じる階段まで泳ぎました。あとは救助が来るのを呆然と待つばかりでした」

翌日、スタッフや親戚が病院の片付けの手伝いにやってきた。人の温かさを実感し、一方で自責の念に駆られる水川さんは自分にもなにかできないかと考えたという。

「私は、東日本大震災のときに歯医者として遺体の身元確認の手伝いをした経験があります。
今回の豪雨でも役立つことがないかと、知り合いから仮設トイレを借りて9日朝に設置しました。そのときは行政の仮設トイレがまだなく、少しは助けになったかなと。
井戸水も、その翌日に開放したんです。いつでも勝手に使ってもらっていいと心づもりをしていますが、皆さん、わざわざ『お借りしました。ありがとうございます』とお礼を言われるんです。こういうところが日本人らしいですよね」

徐々にライフラインは復旧してきているものの、いまだに土砂や倒壊した家屋に埋もれ、行方が分からなくなっている人がいる。
むろん人命の救助が最優先で、捜索現場に多くの警察官やボランティアが割かれる。だからこそ住民が自力で生活を取り戻さなければいけない地区は多い。

続く
3 :
逢いみての… ★
2018/08/01(水) 01:49:22
天応地区から車で10分ほど南へ向かうと、梅木町という町がある。テレビではあまり取り上げられず、ボランティアや救助隊も現場ではほとんど見かけないが、町の北東を流れる梅木川が土砂に埋まり、原形をとどめていない住宅もある。
山間部へ向かう対面通行の道路には、土砂が15cmほど積もっていた。ワークパンツ姿の若者が、シャベルで黙々と道に積もった土砂を路肩によけている。梅木町に近ごろ移住してきた花岡健太さん(25歳)だ。

「今日は休みで、仕事の合間を縫って片付けを続けていこうかと考えています。自宅はもうちょっと坂を上がったほうなんですけど、この太い道がきれいにならないと、みんな不便だろうと思って。
手伝ってくれる人は、いまはいないです。高齢者の多い地区ですし。でも、だれかがやらないと、なにも進まないから」

炎天下、汗だくの花岡さんの横に軽自動車が止まる。70代と思しき女性が車中から、スッとペットボトルのお茶を差し出し、「ありがとうね、気をつけて」と声をかけ、走り去っていった。

「さっき、そこを通りかかった人ですね……。ありがたいです」(花岡さん)

梅木町の高台へ向かう道には、いまだに上流からやってきた土砂や木、岩が転がる。かろうじて普通車1台が通れるスペースが確保されているが、雨のピークを過ぎた7日はとても通行できる状態ではなかった。
その道の途中、70代の女性が、ガードレールに腰かけながら木陰で一息ついていた。

「この上にある汐見ヶ丘団地に住んでいます。大雨の日は、逃げようにも団地の前を大きな岩がゴロゴロ転がっていて、どうすることもできなかった。
雨が上がると、団地の人づてに、若い人たちがほかの地区から集まって、手分けして道をきれいにしてくれたんです。『これなら、給水車も通れるようになったでしょ』って。みんなはじめて会う人たちなのに、どうしてこんな親切になれるんだろうってほどでした」

雨にも負けず、夏の暑さにも負けないよう、被災地の人々は互いに支え合いながら、前を向いて生きている。まさしく、宮沢賢治の詩の一節そのものだ。道のりは長い。だが、こうした市井の人たちの努力が続いていけば、かならず復興できる。

終わり
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